捕鯨が汚染を招く!?
── 南極海クロミンククジラのカドミウム汚染 ──
「捕鯨と汚染」と聞いて思い浮かぶのは、沿岸の捕鯨基地での解体によって流れ出る血液が内湾を汚染して漁場環境を悪化させたり、骨や内臓の一部などを海中に不法投棄していた話。ですが、ここで取り上げるのは、それらとはまた別次元の問題です。
大型種を次々と獲り尽くしていった商業捕鯨の最後のターゲットとなり、現在日本が調査捕鯨の形で捕獲を進めている南半球のクロミンククジラから、高濃度のカドミウムが検出され、その年級群別の汚染濃度の推移が興味深い事実が明らかになりました。
まず、人間活動によって汚染されていないきれいな環境のはずの南極海のヒゲクジラで高濃度の汚染が発覚した背景には、カドミウムの生物蓄積の特異性があります。南極海は深層に溜まった高カドミウム水が巻き上げられる湧昇流域であり、クロミンククジラがほぼ100%依存している餌生物のナンキョクオキアミは、そのカドミウムを豊富に含んでいます。環境からの摂取が一定の割合であれば、鯨類のカドミウムの体内濃度は年齢とともに増加していくはずですが、クロミンククジラの場合だけ、15~20齢(捕獲時)以後のあたりで濃度の減少が見られます。つまり、この年齢より若い年級群(ある同じ年代に生まれたクジラ)から重金属の蓄積率がそれ以前より上昇したことがわかります。
生物中の重金属の代謝に関しては、一定濃度に達すると腎臓での処理能力の限界を越え、腎障害を引き起こすことがわかっています。現実に、肝臓のカドミウム濃度が20ppm以上で腎臓のそれを上回っている個体が見つかっており、腎障害を引き起こしていた疑いが持たれています。
汚染源としてひとつ考えられるのは、南極大陸上に設営されている基地による、有害物質を含む未処理廃水の垂れ流しやゴミ焼却です。中には、自国の基準値をはるかに上回る濃度の有害物質が排出されていたケースもありました。南極での越冬は19世紀末に始まりましたが、戦後に入ると主に大陸沿岸で各国が次々に基地を建設しました。現在では20ヵ国が基地を常設しており、夏季のみや閉鎖中を合わせると、その数は百ほどになります。越冬する研究者の人数も千人を越え、最大の米国マクマード基地は一都市並の規模を呈しています。監視の目が届かない状態で、生体中へ移行しやすいカドミウムがずっと排出され続け、もともと高水準にある南極海の生物圏へ付加されたとすれば、それがクロミンククジラの体内蓄積に拍車をかけたとしても不思議はありません。ただし、1991年以降は南極環境議定書により、南極における基地活動に関する制限や環境アセスメント、損害賠償等について規定が設けられています。
もうひとつは、人為的な排出が原因なのではなく、商業捕鯨による生態系のかく乱が汚染と同等の効果をもたらしたというものです。ちょうどこの年級の前後からクロミンククジラの摂餌率が増加したため、それに従って餌生物中に含まれる重金属の蓄積量も増えたと考えられるのです。餌のオキアミ中のカドミウム含有量が変わらないと仮定した場合、濃度から逆算して、体重当り摂餌率は1.5
倍に増加したと推測されます。クロミンククジラに関しては、一時的に性成熟年齢の低下(雌で1940年代の12歳から1970年代の7~8歳へ)と成熟体長の大型化が進んだとみられています。商業捕鯨により大型鯨種が壊滅的な打撃を受け、その分余ったオキアミが他のオキアミ捕食者群:鰭脚類やペンギン・海鳥、魚、イカなどに分配されたと推論されます。それによって、ナンキョクオットセイやカニクイアザラシ、アデリーペンギンなどの個体数は明らかに増加しました(詳細はこちら)。最後に商業捕鯨のターゲットとなったクロミンククジラにとっても、一時期摂餌環境が良好化した可能性はあります。しかし、たとえ餌を入手しやすくなったとしても、そのために有害物質の蓄積が早まって健康障害の発露につながったとすれば、結果的に環境が〝良好化〟したとはいえません。
生物の個体数と増減率の関係は、理論的にはゼロの状態から個体数が増えるに従い指数関数的に上昇しますが、次第に餌の量など環境の制約を受けるようになり、キャパシティ=環境収容力の上限に達した時点で平衡に達します。微分すれば放物線の形となり、満限状態の50%の個体数の時が最も増加率が高くなります。これがいわゆるMSY理論であり、古くから水産学では最大の漁獲量を導き出す方程式として扱われてきました。クジラの管理方式もこのMSYが基本になっています。もっとも、ビーカーの中のゾウリムシと違い、現実の自然の中では複雑な種間関係を考慮しなければならず、環境収容力も絶えず変動します。特に大型哺乳類は繁殖に際して密度依存的な社会行動の要素が大きく加わるため、ある程度個体数が減少すると増加する余地がなくなってしまうケースがほとんどです。魚類の場合は一度に数百、数千、数万個もの卵を産むため、環境条件が好転すると生残率も飛躍的に向上しますが、クジラの場合は繁殖が可能になるまで何年もかかり、一産一仔から多産になるわけでもなく、突然大幅に増えることなどありえません。前世紀に商業捕鯨が管理の失敗を重ねてきたのも、理論の限界を示すものでした。
クロミンククジラのカドミウム汚染は、野生動物管理・漁業管理にあたり、これまでまったく考慮されなかった〝計算外の要素〟があったことを意味します。人為的に増加率を上げようとしても、それが汚染と同様の状況を作り出し、逆に死亡率の増加や繁殖の阻害を引き起こしかねないのです。有害物質の蓄積を考慮するなら、クロミンククジラの摂餌率はすでに限界にあり、捕獲圧を加えてさらに上昇させることは回避しなければならないといえます。カドミウムの影響は主に腎障害であり、高齢の個体ほど蓄積が進んで死亡率が上がるため、繁殖可能年限・生涯産仔数を下げる結果につながります。クジラたちを脅かす汚染物質はカドミウムだけではありません。神経毒性のある有機水銀も、社会行動に支障をきたすことでやはり繁殖力の低下を招く恐れがあります。また、有機塩素化合物は直接生殖ホルモンに作用したり、次の世代に影響を及ぼす変異原性を持っています。北半球産のミンククジラでは過去にPCBの高濃度の蓄積が報告されていますし、規制が遅れた発展途上国由来のDDTなどが南極に棲む海棲哺乳類からも検出されています。重金属と有機塩素化合物の複合汚染についても考慮しないわけにはいきません。
世間一般の感覚からはズレますが、IWC上で議論されているRMP(改訂管理方式)では、汚染が捕獲枠の増大に働く場合もあります(個体数の減少によって増加率が増えるため)。捕獲枠の算定は、死亡率の内訳に占める人為的捕獲による死亡の比率を引き上げる(汚染が原因で死ぬ前に獲られて死ぬ)ことで、汚染の影響は小さくなるという前提でなされます。しかし、汚染物質が時間をかけて蓄積され、閾値に達した時点で突然健康被害として表面化し、生殖機能を大幅に低下させたり、未成熟個体の死亡率を上昇させる形で、個体数を回復させる〝復元力〟を相殺してしまう可能性も捨てきれません。これは、規制の甘かった旧東欧圏から排出された汚染物質によって、北海・バルト海のアザラシ等海棲哺乳類が甚大な被害を受けた事実からも明らかです。クジラの体内に蓄積した汚染物質を減らすことはできず、濃度が正常に戻るまでには何世代もかかるでしょう。影響が目に見えるようになってから捕獲を止めても遅いのです。現行の管理方式では、シロナガスクジラを追い詰めたのと同じ過ちを再び繰り返すことになりかねません。
付け加えれば、同じオキアミを捕食しているシロナガスクジラに対しても、クロミンククジラと同様の汚染物質濃縮メカニズムが作用し、現在も個体数増加を阻害する要因になっている可能性もあります。ミンク間引き論がいかに視野の狭いものかを示すといえるでしょう。
体重・寿命を規定する要素として重金属の生体濃縮が働くというのは、学術的にはきわめて興味深い仮説です。しかし、南極圏の生態系の保全を考えるとき、商業捕鯨が化学工場と同じく汚染源になりえるという事実は決して見過ごすことのできない問題です。商業利用の対象となりうるヒゲクジラ類最小の種に至るまで手痛い資源管理の失敗を重ねてきた捕鯨産業と鯨類学は、南極海生態系のバランスをここまで崩すことをまったく予見できませんでした。南極の生物群集が今日の姿にたどり着くまでの永い進化史の間に、クロミンククジラなどがカドミウムを溜め込むことを〝無理強い〟される事態なお、一度も起こらなかったに違いありません。それは、人間の介入に絶えられないほど、南極の自然/クジラという種がデリケートだという事実とともに、現代の科学がいかに未熟かを示しています。しかも、私たちが気づかない落とし穴はまだまだあるかもしれないのです──。
上で説明した、捕鯨によって誘発されるクロミンククジラのカドミウム汚染が、どのような形でクロミンククジラの個体数に影響を及ぼすことになるか、さらにグラフを使って解説しましょう。
図AはMSY理論でおなじみの個体数と増加率の関係を示したもの。そして図①は、図Aの右端、満限状態にあるときのポピュレーション(人口/個体数動態)曲線です。以下、図A中の②~⑤の段階にあるポピュレーション曲線のグラフはそれぞれ下段に示します。
もちろん、これらのグラフはあくまで単純化したものであり、現実の野生動物の生息数動態がこんなきれいな指数関数曲線を描くわけではありません。図Aの中央の位置にもっていくことで最大の漁獲生産をあげられるというのがMSY理論の主旨で、日本の水産資源学者や御用記者など捕鯨推進派がこれを〝信奉〟しているわけですが、従来から実態を反映していないと批判を浴びてきました。現在IWCではMSYに代わってRMPが適用されています。つまり、捕鯨擁護論者にはこのグラフを使ったほうが返ってわかりやすいでしょう。
図Aの縦軸〝見かけの増加率〟は、実際の個体数の推移に基づく〝真の増加率〟ではなく、人為的な捕獲圧を加えることで生じる個体当り摂餌量の増加等のパラメータの変化を便宜的に指標化したものです。これは調査捕鯨のサンプルのデータに基づく、日本側が主張するところの「クジラが増えている」ことを示す間接的な状況証拠にあたります。
さて、捕鯨を開始して数を減らすと、〝見かけの増加率〟は理論上上昇していきます。しばらくすると、クロミンククジラにおいてはMSY理論では予想だにされなかった事態が起こります。それが図②です。
摂餌率増加によってカドミウムの体内蓄積が進み、閾値を越える年齢付近で腎障害が発症するようになります。それによって、ある年級群以降になると、腎障害の平均発症年齢付近を境に死亡率が急激に上昇します。これは、メスの繁殖可能期間を大幅に短縮させ、新生児加入率を減少させます。
この段階で仮に捕鯨を止めたとしても、事態の進行がとどまることはありません。なぜなら、商業捕鯨が開始されてから腎障害の兆候が表面化するまで、発症年齢分の時差が含まれているからです。個体数の減少にしたがって、見かけの増加率上昇とそれに伴うカドミウム汚染の進行は一段と加速されます。それが次のグラフ③です。
図③では、カドミウムの生体濃縮のペースが速まることで腎障害の発症年齢がさらに低年齢化し、加えて新生児の加入率低下がポピュレーションに反映され始めます。この時点では〝見かけの増加率〟に大きな変化は見られません。調査捕鯨では捕獲した全個体で調べられるのは耳垢栓の年齢査定のみで、生体中の汚染物質の濃度などは一握りのサンプルでしか行われません。想定される発症年齢以降の個体の腎機能・肝機能値の継続的で慎重なモニタリングを行わない限り、将来のポピュレーションへの影響は見過ごされかねないのです。その結果が図④です。
この段階で、クロミンククジラはあたかも突然の大災害に見舞われたかのように、大幅な個体数の減少を示します。しかし、初期に腎障害が現れた年級群の子供の世代が成熟して捕獲対象になるまで、人間は目立った異変に気づかないでしょう。しかも、ある範囲の年齢層の〝見かけの増加率〟だけ見れば、あたかも資源が頑健であるかのように映ってしまうのです。
そして、たとえ②の段階で商業捕鯨を直ちに中止したとしても、個体数の減少にはまったく歯止めがかかりません。個体数の減少そのものによって、クロミンククジラの汚染状態は維持され続けてしまうのです。MSYの最適値に相当する個体数のとき、カドミウム汚染もピークに達します。後は坂道を転げ落ちるかのごとく、個体数は減少し続けることになります。そして、最終的にはグラフ⑤の状態に到達します。
この段階まで減少して、〝見かけの増加率〟はやっと腎障害を引き起こさない程度に下がります。しかし、それは元の個体数に回復する力がすでにない状態でもあります。しかも、いくら繁殖率が下がっていても、個体密度が減少したことで個体当りの摂餌率は下がらず、腎障害発露の可能性は残り続けるかもしれません。
ステージ⑤の新たな定常状態は、MSY理論においてさえ危険領域とされるもの。環境が悪化すればそのまま絶滅へと突き進みかねないのです。地球温暖化やオゾンホールによる餌生物への影響と生態系の撹乱、南極圏まで到達する有機塩素化合物とカドミウムとの複合汚染の可能性など、クロミンククジラを脅かす危険な要素は現実にいくらでもあるのです。
同じ境遇にある他の多くの野生動物と同様、クロミンククジラはまさしく〝絶滅危惧種〟に他なりません。こうした特殊な事情がある以上、クロミンククジラをレッドデータブックのリストから外すのは明らかに過ちです。個々の系群が10万頭単位の個体数だとしても、クロミンククジラが安全だなどとは決していえないのです。同時に、クロミンククジラに対しては持続可能な捕鯨など成立しえないことも意味します。
カドミウム汚染の効果を除く方法は次の3つ。
- ナンキョクオキアミのカドミウム濃度を下げる。
- クロミンククジラの各個体に腎障害の予防・治療処置を施す。
- シロナガスやナガスなどの生息数を、ミンクの間引き以外の方法で早急に回復させ、商業捕鯨が南極海に進出する前の健全な状態に南極海生態系を戻す。
いずれも簡単に実現できる話ではありません。
MSYに代わるRMPは、実はシンプルに総個体数の情報のみから十分な安全率を考慮したうえで捕獲枠を算定するというもの。問題は、この安全率の見積もりがはたして十分かどうかです。カドミウム汚染の問題にしろ、変異原性を持つ有機塩素化合物の影響にしろ、個体数減少という目に見える形で影響が表れるまでには、かなりの時差を伴います。現行の管理体制では、こうした環境異変に対するコンティンジェンシープランが十分とはいえないのです。カドミウム汚染の影響を考慮すれば、②の段階に入る手前で捕獲をやめる必要があります。RMPに基づく捕獲枠を大幅に見直すとともに、最低でも捕獲した個体のすべてで腎機能・肝機能値の検査を義務付けるべきでしょう。調査の名のもとに行われている現在の捕鯨でもさっぱりできていませんが。今のままでは、クロミンククジラ以外の対象種に対して犯した乱獲の愚を再び繰り返すのを防ぐことはできません。
もっとも、既に手遅れかもしれません。前章で示したとおり、80年代のわずかなサンプルからも腎障害の疑いを示すデータが出ているのです。仮にこれが商業捕鯨によって引き起こされた南極海生態系の撹乱が原因だとしても、汚染状態を解消するためには、クロミンククジラが②を脱して更新された①の段階へ速やかに到達してくれるのを待つ以外ありません。
しかし、日本はモラトリアム後もずっと数百頭規模の調査捕鯨という形で②をさらに③、④へと進めさせかねない誤った方法をとり続けました。結局、調査捕鯨の結果クロミンククジラは増えていないことが明らかになり、IDCR/SOWERでは2周目から3周目にかけて72万頭から51.5万頭へと減少したことも判明しました。はたして、カドミウム汚染の影響がないと言い切れるでしょうか? 調査捕鯨の結果に基づく数少ない論文で示された脂皮厚の減少は、IWCでは統計処理に疑義が持たれましたが、仮に事実だとsるれば、それもまた腎障害の影響かもしれません。捕鯨による汚染の発覚は、日本が、他国も含む前世紀の捕鯨産業の過ちから何一つ学ぶことなく、最後のクロミンククジラまで絶滅の危機に追いやった重大な責任を負うことを意味するのです。
クロミンククジラの〝捕鯨汚染〟の問題は、私たちに次のことを教えてくれます。
- 自然界の挙動について知ろうとするとき、私たちの科学がいかに未熟で浅はかなものかということ。
- 一度自然を傷つけてしまったら、それを取り戻すのがどれほど困難かということ。
- とりわけ南極のような、ニンゲンという動物にとって〝遠い自然〟は、経験や伝統に基づく感覚も、合理的な科学も及ばない、里山のような〝身近な自然〟とは根本的に異なるものなのだとはっきり認識すること。生物資源の持続的利用の可否はまず身近な自然で実証すべきこと。
鯨研は、JARPAの一環として汚染物質の調査をしており「汚染濃度は低く南極海はクリーンだとわかった」と、ごく簡単にまとめています。
http://www.icrwhale.org/02-A-56.htm (リンク切れ)
しかし、実際に公表されている数値を見ると、南極海のクロミンククジラについてはPCBで10年間でたったの3体の標本でしか検査していません。筋肉中に蓄積する水銀(総水銀のみ)は200サンプルで検査してますが、カドミウムの数値は掲示されていません。商品として市場に流す筋肉中の濃度はPCBも測ってますが・・。
http://www.icrwhale.org/03-A-b-06-1a.pdf
農水省のホームページでも12年間の調査捕鯨の成果という形で測定結果を公表していましたが、水銀とカドミウムは肝臓・腎臓中の数値がなく筋肉のみ。
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/11.11.9.2.html (リンク切れ)
汚染物質の生体内への蓄積は、その化学的性質の違いから種類によって大きく傾向が異なります。脂溶性のPCB等は脂皮に集中して蓄積しますが、カドミウムその他の重金属は脂皮では低く、筋肉、骨、脳、そして腎臓や肝臓などの器官で濃縮されやすくなります。微量元素の検出は検査機関に委託するため費用が発生しますが、カドミウム等重金属の腎臓・肝臓を対象にした検査は他の項目より優先されるべきです。
表1は調査捕鯨12年分のデータに基づく北西太平洋ミンクと南極海クロミンクの数値を比較したもの。カドミウムの数値は、鯨研が「クリーン」と言ってのける南極海のほうが北太平洋より高いことががわかります。
表1:汚染物質の蓄積量比較その1(単位:ppm) | ||||
---|---|---|---|---|
汚染物質 | PCB | 水銀 | カドミウム | |
部位 | 脂皮 | 筋肉 | 筋肉 | 筋肉 |
北西太平洋ミンククジラ | 0.29-0.8 | 0.005-0.058 | 0.009-0.83 | 検出限界以下-0.04 |
南極海クロミンククジラ | 0.023-0.11 | 0.000081-0.00031 | 0.003-0.07 | 0.01-0.32 |
表2:汚染物質の蓄積量比較その2(単位:ppm) | |||
---|---|---|---|
汚染物質 | カドミウム | ||
部位 | 筋肉 | 肝臓 | 腎臓 |
-'87(平均値±標準偏差) | 0.05±0.04 | 15.4±9.39 | 21.4±85.0 |
'89-'98(最小値-最大値) | 0.01-0.32 | ??? | ??? |
続いて表2は、同じ南極海クロミンククジラでの調査捕鯨期間分とそれ以前のデータを比較したもの。'87年以前の分は37検体をもとに標準偏差も求められていますが、調査捕鯨のほうは検体数が少なすぎて出していません。商売でやっていたときより科学的調査のほうが精度が悪くなった格好です。いずれにしても、筋肉中のカドミウム最大0.32ppmという数値は、商業捕獲時代の平均0.05ppmという数値を大きく上回っています。筋肉中でさえ約3倍も増加している以上、腎臓・肝臓の値のほうで下回っているということはおよそ考えられません。すでに「腎障害が起きている疑い」をもたれていた時点から、その後の十年間でカドミウムの生体濃縮が明らかに進行していることを意味しています。場合によっては、もう臨界を越えて腎障害が多発するモードに移行してしまった可能性さえあります。
論文の末尾で愛媛大本田氏は「腎障害について現在検査を急いでいる」と記していますが、その後調査捕鯨で鯨研がどこまで追跡調査を行ったのかはわかりません。腎・肝機能値の検査は微量の化学物質の検出よりコストはかからないはずですが。愛媛大の研究グループによる近海の歯鯨類やアザラシなどのデータと比べても、やはりカドミウム濃度の高いイカを主に捕食するイシイルカを除くとこの数値はズバ抜けています。しかも、'87以前でさえ腎臓と肝臓の値はイシイルカをも大幅に越えているのです。研究者独自の調査で行えているにも関わらず、国が丸抱えをしている国家事業的研究で、こうした重要な数字のみ出てこないのは非常に問題があります。
もう一点補足すると、クロミンククジラの見かけの増加傾向は、ニッチの空白よりむしろ70年代以降開発されモラトリアム後も調査の名目で続行されている捕鯨そのものが主因で引き起こされたのかもしれません。ナンキョクオキアミの動態と商業捕鯨との関連は、「1.5億トンは余剰が生じただろう」といったきわめて大ざっぱな推測のみで、明らかなのはカニクイアザラシやミナミオットセイの個体数に増加が見られたことだけです。日本など捕鯨国によるかつてのクジラの乱獲が、海鳥、魚、イカ、その他低次捕食者・生産者を含む南極海生態系全体に大きな混乱をもたらしたことは間違いありませんが、クロミンククジラの個体数が増加したという直接的な証拠はありません。ザトウやナガスの一部に回復の兆しがあるという、ミンク間引き論とまっこうから矛盾する報告もあります。一方、水産学の基本的な考え方に則れば、人為的な捕獲の圧力を加えることによりクロミンククジラの各種のパラメータは変化するはずで、どう転ぶかわからない種間関係の変化より結論はシンプルで明解です。1980年代から90年代にかけてのタイミングでカドミウム蓄積量の数値が跳ね上がったということは、時差を考えても70年代以降の捕獲の影響と考えるほうが辻褄が合います。そして、見かけ上いくら増加しているように見えても、捕殺と腎障害によって相殺され、個体数が減少にまで転じてしまっているとしたら……そして、その結果がIDCR/SOWERでの報告に表れているとしたら──。
※ ミンククジラのカドミウム汚染に関する詳細はサイエンティスト社発行の『海の哺乳類』3章:「重金属汚染と海の哺乳類」(愛媛大本田教授)を参照
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